和気あいあいちゃん

女子大生の日記

微笑みの国カンボジア


8月半ば突然どこか遠くへ行きたくなって、丁度予定がキャンセルになったこともあってカンボジアに行ってきた。ついでにマレーシアも寄って観光したけれど、前来た時より都会になったなーくらいしか感想が無かったのでここは飛ばす。もう多分クアラルンプールはトランジット以外で行かない。

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カンボジアは想像していたよりとても明るい国だった。わたしはカンボジアは貧しい国だからきっと少し歩く度に物乞いに会うんだろう悲しい国なんだろうなんて、少ない経験から勝手に決め付けて行ってしまったから、その底抜けの明るさに驚いた。彼等はとてもエネルギッシュだ。小さな子達が裸足で私に軽くぶつかって「お金頂戴。ジュース買ってよ。」と声を掛ける。「お姉さん、安くするよ」って私の半分の年くらいだろうという子がお母さんと一緒に商売に来る。でもその子達の顔に悲壮感なんてものはない。

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同い年の男の子が屋台でお酒を出して働いている。その場でモヒートを頼んで、心地良い喧騒のパブストリートを背に話す。彼はホテルに泊まってる私達をRich Girlだって言う。この国にはそこらへんで寝てる奴ばかりだって。そんな事ないよと思いながら、そうなのだろうなと思った。
行きたい時に行きたい場所にいける私達。私が着ている服はその子がどれだけ働いたら得られる額の物なんだろう。ちょっと遠くに行きたいってそんくらいの気持ちで外国へ飛んで、お酒を飲んで、クラブで踊って、そんな私の人生はなんて楽で薄っぺらくて苦労の無い物なんだろう。

母の働く大学では、兄弟11人の中で1人大学へ出してもらった生徒がいるという。教育にお金を掛けることが難しい家庭で育った彼は日本語も英語も拙い状態で日本に来た。懸命に学んで卒業して、自国に帰り家族を支えるという。当たり前のように高校に入れてもらい、大学に出してもらい、その中で「勉強したくなーい」なんて、居酒屋で酔っ払いながら友達と話している私となんて違いだろう。

私はなんだか、豊かになるほど何かに鈍感になっていく気がするよ、なんでなのかな。



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きっとこう思っていることもすぐ忘れるんだろう。だって毎日は目まぐるしく過ぎて行く。この投稿だって、一緒に行った友人がSNSを更新しているのを見てこのブログを思い出して、ちょっと書いてみようかな、そんな気持ちで書き始めた。



幼い頃から働いている彼らを可哀想なんて思わないよ。人の事を不幸だって決め付ける権利なんてないし、私だって誰かが勝手に私の幸せを決めるなんていやだもん。

でも、アンコールワット観に行こう!そんな思いつきで行った国でこんな思いをするとは思わなかった。それは決してマイナスな意味じゃなくて。
この言葉にならないモヤモヤした何かは決して甘いものじゃなくて、頭をよぎるたびに苦くなるものだけど、それを得たことはなんと言うべきか、とても良かった。それに尽きると思う。

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私がこれを考えるキッカケになった一つが一緒に行った年の違う友人です。

私は一緒に行った彼女をとても尊敬していて、彼女の考え方や彼女が紡ぎ出す言葉がとても大好きで、知り合うきっかけは今考えれば笑っちゃうくらい恥ずかしいんだけど、その時わたしが若気の至りで声をかけて、本当に良かったと思っているんだ。



カンボジアは私にとって素敵で温かい国であったと同時に、生暖かく育ってきた事実が突き刺さる国だった。
産まれてくる直前の命を食べた。彼はもう姿は生き物だった。目の前で鶏が絞め殺されるのを見た。彼はその後昼食になった。
生まれていく命を死に行く命を頂いて私達は今日も自分達の明日を繋いでいく。明日があれば、私は私の人生を彩るために薄っぺらい私を積み重ねるために幾多もの選択肢を手に入れることができる。なんというか、わたしたちの人生ってなんて素晴らしいんだろうね。


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